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        中国古代四大美人

              「英雄も美人の関所には苦労する」と古来より言われるように、英雄の背後には美女が付き物である。今回は中国の歴史上において、「沈魚落雁・閉月羞花」と語られる4人の傾国の美女たちをご紹介する。


         ■西施(せいし)~沈魚~

               春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)、西施は貧しいたきぎ売りの娘として生まれた。彼女はその美しさから、越王の勾践(こうせん)によって、呉 王の夫差(ふさ)を油断させるための美女として献上された。西施に夢中になった夫差は政治をおろそかにし、やがて呉は越に滅ぼされることになる。浙江省紹興市から車で1時間ほど行ったところに、西施故里と呼ばれる場所がある。西施の故郷と言われ、西施を祭った「西施廟」、美女博物館「中国歴代名媛館」や 「古越台」など、見どころ満載となっている。

               

        ■王昭君(おう しょうくん)~落雁~

               前漢・元帝の時代(紀元前33~48年)、似顔絵を醜く描かれてしまった王昭君は長い間、元帝に会う機会がなかった。そして、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)が「漢の女性を妻として迎えたい」と申し出たため、元帝は醜いと伝え聞いていた王昭君を嫁がせた。後に王昭君の容姿を目にした元帝はその美しさに目を見張り、後悔の念で激怒したと言われる。内モンゴル自治区フフホト市には、そんな王昭君の墓がある。彼女の故郷を再現した建物をはじめ、匈奴博物館、王昭君廟などがある。王昭君が漢に別れを告げる場面を再現したショーなどが上演され、特に人気を呼んでいる。
        ■貂蝉(ちょうせん)~閉月~
                小説「三国志演義」に登場する貂蝉は、四大美女の中で唯一、架空の人物である。後漢の暴君・董卓(とう たく)の誅殺を行う為、貂蝉は養父の王允(おう いん)に利用された。王允はまず武将の呂布(りょ ふ)と彼女を面会させ、呂布を彼女に惚れさせた後、彼女を董卓に渡した。だが、その後も呂布と貂蝉を度々密会させ、呂布は貂蝉を思うあまり、最終的には王允と結託して董卓を殺害してしまう。王允は2人の男の間に貂蝉を置き(美人計)、両者の関係に亀裂を作った(離間計)。これが所謂「美女連環の計」である。董卓亡き後、貂蝉は呂布の妾となる。
        ■楊貴妃(ようきひ)~羞花~
               傾国の美女として名高い楊貴妃。もとは玄宗皇帝の息子の妃 であった。しかし、彼女の美しさに惚れた玄宗は息子から彼女を奪い、やがて後宮に置いた。楊貴妃に溺れた玄宗は、彼女の一族を昇進させ、ライチを好んだのを知れば、長安の都まで早馬で運ばせ、長安から少し離れた温泉離宮・華清宮では、宴会と舞踊を楽しむ享楽の日々を過ごした。玄宗はやがて政治をおろそかにし、安史の乱が起こることとなる。楊貴妃が愛した湯殿、西安の華清池には今も湯が湧いており、温泉に浸かることができる。



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